音楽好きの今の話と昔の話

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私的名盤考察「KSK」

このブログをご存知の方にはお馴染みの椎名林檎さん。今回はとあるオリジナルアルバムの話だ。1stアルバム「無罪モラトリアム」(通称「MM」)は紛れもなく現段階で、私にとって「人生のベストアルバム」である。かつて、この「MM」を紹介した記事も掲載したが、今回はあえて3rdアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」の話をしたい。通称「KSK」と呼ばれる。

このアルバムはファンの間でも根強い人気作品で、この作品がNo.1だと挙げるコアファンは多い。「椎名林檎最狂の1枚」と呼ばれることもあるが、果たしてそれ程までに「狂っている」のか?そんなことを今の時代から20年も前の昔のこの作品を見た時どのように感じるのか、考察とは大袈裟だが紐解いてみたい。

まずはこのアルバムの概要。2003年2月23日に東芝EMIより発売された。全曲作詞作曲は椎名林檎さん。全11曲は以下のとおりである。

1.「宗教」 5:08
2.「ドツペルゲンガー」 3:46
3.「迷彩」 3:44
4.「おだいじに」 3:01
5.「やつつけ仕事」 5:08
6.「茎」 3:50
7.「とりこし苦労」 2:36
8.「おこのみで」 5:45
9.「意識」 2:45
10.「ポルターガイスト」 3:41
11.「葬列」 5:12

前作「勝訴ストリップ」(通称「SS」)同様曲のタイトルは6曲目を中心としてシンメトリー、左右対称の並びになっている。合計時間44分44秒。「SS」も合計時間55分55秒と同じくゾロ目。そして発売日は(200)3223そんな意味深な曲順と時間と発売日。

 



実はこのアルバムが発売される前、事前に作品紹介、いわゆるコンベンションがあったのだが参加したことがある。当時CD屋で働いてたので、その貴重な機会に参加することが出来た。そこでは椎名林檎さん本人に会うことも出来たのだが、今でもそのとき聞いた1曲目のイントロが忘れられない。

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もう東芝EMIはなくなったし、かなり過去作品のプロモーションだ。そのため資料の内容は問題ない部分の一部写真をご覧いただこう。そのコンベンションで配られた資料数枚と封筒を記念に保管している。この黒猫封筒はかなりお気に入りだ。

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このアルバム全体の印象は常に暗雲が立ち込めているような、どんよりとした雰囲気である。前述のとおり印象的な1曲目のイントロはおどろおどろしい。ある意味かなり攻めている。妊娠出産の活動休止後、カバーアルバムをリリースし、本人もとりあえずこの3rdを最後に引退するくらいのつもりでいたようである。故に最後にこれでもかと言うくらい感情や欲求など無理矢理にでも詰め込んでいる、と考えてしまう。決して暗闇や夜と言うイメージだけではない。とにかく、なんとも重い空気感漂う世界が広がっている。

なぜこの記事を書こうと思ったのかと言うと、不思議な「きっかけ」であった。私は邦楽をアーティスト別であいうえお順に並べて整理している。たまたまCDの棚を見ていたら、やたら黒く感じた1枚が「さ行」にあった。なんとなく椎名林檎さんのあたりなのはわかったが、思わず引き出してしまった。初期オリジナルアルバム3部作の中でもおそらく一番聞いた回数は少ないなと思い、以前聞いたのはいつ頃だっけ?と10年近くは聞いていないことを思い出した。どんな内容だったかあまり覚えていなかったが、実際再生したところ、凄まじい勢いで記憶がよみがえってきた。あまり聞いた印象がなかったが、実際には相当な回数聞き込んでいたことも合わせて思い出した。「聞きたければ聞け!」と言わんばかりのこのアルバムが持つ執念がこの不思議な偶然を生み出したのかわからないが、とにかく私的名盤考察を書きたくなった。

さて、具体的な内容に触れていきたい。何度も言うが、この1曲目「宗教」の冒頭からぶつけてくる。楽器を激しくかき鳴らす音は、さしずめ雷鳴のようだ。その轟音の中にある椎名さん自身が演奏しているお琴の音が、このアルバムが実験的かつ挑戦的に表現しようとしているのではないだろうかと勝手に想像してしまう。狂っているとは大袈裟だが、それ程の覚悟を見せている気がする。

2曲目「ドツペルゲンガー」に進むと急にどこかで聞いたことがある音が断片的に聞こえてくる。かつて椎名さんの楽曲で使用した音が聞こえて来るではないか。メロトロンと言う特異なサンプリング楽器で様々な音を実験的にぶち込んで来ているようで、実はかつての自分の作品のかけらを散りばめている。「KSK」以前の作品を聞き込むことで更にドッペルゲンガー的感覚に陥ることが出来る面白い曲。

そんな過去への思いに耽っていると、ウッドベースの重厚な音でまた元の世界へ引き戻される。「迷彩」はシングル「茎 (STEM) 〜大名遊ビ編〜」のカップリング曲のアルバムバージョンである。カップリング曲をオリジナルアルバムに収録するのは非常に珍しく、後に紹介する「意識」もその貴重な「B面」曲だ。その後も両A面という形では収録されることはあったが、その他でオリジナルアルバムに「B面」曲が収録されているのは2019年のアルバム「三毒史」に収録されている「どん底まで」だけである。

何とも言えない雰囲気でアルバムは進んで行き、4曲目「おだいじに」で少し雰囲気が変わる。三拍子の落ち着いた曲だが、ここでは鬱蒼とした空気感が薄れる。ただ単純に「夜」の雰囲気を醸し出し、ここまで続いた濃厚な楽曲の合間のひと呼吸といった効果をもたらしている。しかし、歌詞自体はなかなか重苦しく「最期」の一歩手前を感じてしまう。そして曲が進めば進むほど歪みの強いギターの音が迫ってくるのだが、ここに関してはノスタルジックになる。何故なら初期椎名さんのディストーションたっぷりのサウンドを思い出してしまう。やはり、歪んだバンドサウンドも忘れてはいない。

5曲目の「やつつけ仕事」は打ち込み系と管弦楽で軽やかなテンポでやって来る。3枚組のシングル「絶頂集」の別バージョンである。冒頭のインタビューはかつての作品「やっつけ仕事」のMVの冒頭部分を使用している。ここでも過去作品を使用している。これまでの作品は一発録りのバンド風を感じることが多かったが、サンプリングを多用したり、じっくり煮詰めている雰囲気が伝わってくる。挑戦的なサウンドにも感じられるが、このまま続けて行きたかってのか、引退を考えていたのかよくわからない。

さて、この「KSK」と言うアルバムの頂上付近にあたる楽曲「茎」によって、再び元の薄暗い世界へ辿り着く。まさにアルバムのセンターにそびえ立つ「茎」の如く、この楽曲がこのアルバムの軸になっている。この「茎」という言葉は隠語でもある。アルバムタイトルともリンクする、どこか思わせぶりな雰囲気で後半の復路と呼ぶべき曲目へ導かれていく。

ここらあたりで、少し違う話題を。亀田誠治さんの功績は椎名林檎さんをプロデュースしデビューさせたことであるが、個人的にはこの作品で引退しようとした椎名林檎さんを東京事変に引きずり込み、現在までアーティスト「椎名林檎」を存続させたことだと思う。実際この作品ではプロデュースしていないにも関わらず、「東京事変」等後の関係性をより強固にしていった。この貴重な音楽の才能を埋めてはいけない、と感じとったとも言われるが、それは表向きで実際はこんな面白いアーティストとこれからも一緒に音楽をやりたかったのが本音では?と勝手に無粋してしまう。

話をアルバムに戻そう。浮雲こと長岡亮介さんのボイスパーカッションから始まる7曲目の「とりこし苦労」は「やつつけ仕事」との対の曲となる。ここからスリリングな後半戦が始まる。

8曲目の「おこのみで」は「おだいじに」との対の楽曲となる。3分40秒あたりの一端歌うのをやめてからの転調。とてもクセがあって面白い。

「意識」と対をなす9曲目「迷彩」は前述のとおり、シングル「茎」のカップリング曲である。何故か曲の並びを見ていると、「意識」「迷彩」が茎の根っこのように左右対称となり、潜んでいるように見えなくもない。こう色々と考えを巡らせてしまうのがこのアルバムの深みなのかも知れない。

10曲目「ポルターガイスト」は「ドツペルゲンガー」と対になる曲。冒頭の遮断機の音は少しドメスティックな印象を受けるが、急にメトロノームに切り替わる。そのまま、ワルツで奏でる不思議な歌詞とメロディが印象的な楽曲。超常現象が起こっているのか否か。相変わらず不思議な世界へ引きずり込まれる。

そして最後の11曲目「葬列」。ようやくここまで辿り着いた。「ザ・和楽器」のお琴から始まった1曲目とは趣向が変わり、最後の曲はシタールから始まるインド感。うーん、考えさせられる。「様々な表現」「実験的」という言葉で片付けてしまえばそれまでである。しかし、そんな簡単な言葉で片付けるのも面白くない。折角全曲紐解いてみたので、もう少し読み取れるところから考えてみたい。

この作品の面白いところは「茎」を中心としたシンメトリーなのだが、様々なところに徹底している。曲目や時間もそうだが、演奏もシンメトリーだ。「やつつけ仕事」「とりこし苦労」のセットはそれぞれ異なる伴奏者だが、それ以外の対になっている楽曲は同じ伴奏者、オーケストラなのだ。それ程までに強いこだわりを持った作品だからなのか、この中の楽曲はその後椎名さんのライブではあまり演奏されない。「KSK」の枠組みから外れると異質な楽曲と感じてしまうためかどうかわからないが、シングル曲はともかく確かにひとり歩きすると異様な楽曲が多いと感じるのは私だけだろうか。「狂っている」「鬱蒼としている」「異様な」と様々なマイナスイメージのワードを並べてきたが、やはり作品としての完成度は高い。

作品をリリースした当時椎名林檎さんはまだ24歳だった。すでに子供はいたが、ひとりの人間としてはまだ十分に若い。だがこのアルバムのクオリティは成熟しきったベテランアーティストの作品だ。オリジナルアルバム3作品目とは言え、この次元のアーティストはなかなかおめにかかることは出来ないだろう。こう考えながらこの作品とアーティストを見ていくと、プロデュースすると言うよりは一緒に作品を作り上げて行きたいと思う人が多い気がする。前述の亀田誠治さんの気持ちは、あながち間違ってないように思える。

ここまで好き勝手に説明と自分の考えを織り交ぜてきたが、やはり「KSK」は作品として狂気じみているのは事実だろう。私でも椎名林檎入門編としてこの作品を紹介するつもりはない。今椎名林檎さんを聞いて気になっている人、もしくはこれから聞こうかと思っている人へ送りたい言葉がある。

「このアルバムは最後に聞け」

3作品目にして既に終わりを見せつけてくる。では、その後の作品は大したことないのか?否、むしろこの作品が今の作品の発端と言っても過言ではない。それはこの作品がどこまで攻めて音楽アルバムとして成り立つか、その実験台となっているのではないか。

ポピュラーなサウンドも増えている一方、うっすら闇を醸し出す大人な作品が増えてきたのもこの作品以降だ。いわゆる初期衝動的なサウンドは減ってきて、複雑化がすすんだような気がする。その後の椎名林檎作品においてシンプルな作品はほとんどない。2016年のアルバム「三毒史」にもこのアルバムの香りがほんのりと漂っている。椎名さん自身このアルバムのコンセプトは「輪廻」と話していた。やはり椎名さんの作品群を聞いてまわって、最後ここへ帰ってくるのだ。そしてまた、新たな作品に耳を傾けたくなるのだ。

最後に椎名林檎さんやこの作品の制作に携わった方たちに好き勝手書いたことを謝りたい。本人たちの意図とは異なる解釈もたくさんあるに違いない。その代わりに20年経ってもこのようにプロモーション活動をしていることで多めに見ていただきたい。

私のブログは音楽に触れる「きっかけ」を作り出すために日々記している。今回の話で椎名林檎さんの「加爾基 精液 栗ノ花」を1回聞いてみようと思って頂ければこの上ない。