音楽好きの今の話と昔の話

普段目についた音楽について何となく語ります。

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カラオケという世界線 第1話

何故こんなタイトルにしたか。CDのチャートを見ると、セールスから今の音楽の流行り廃りを読み解くことが出来る。その一方でカラオケの流行り廃りも世間の音楽に対する興味や評価だといえる。まさに似て非なる音楽の指標とも呼べる。そんなカラオケのランキングは音楽チャートの中でCDセールス、配信とはまた異なった動きをすることだろう。音楽チャートのパラレルワールド、違う世界線の話をしてみたいと思う。

先日面白い動画を見かけた。少し前のデータ、1年前の動画になるがカラオケ大手のJOYSOUND(以下ジョイサウンド)が1996年1月から2022年6月までの月間カラオケランキングトップ10の動画を上げていた。

10分あまりの動画だったが思わず見惚れてしまった。見ていてワクワクしたのは言うまでもない。今回はその動画で気になったところをピックアップして気付いたことや考えさせられたことを並べてみたいと思う。見ていると様々なことを知ることが出来、なかなか深掘りしてしまった。そんな話を分けて紹介したいと考えている。

その話の前に伝えておきたいことは、ジョイサウンドさんに感謝とお詫びをしたい。まず、こんなに興味深い動画を作成していただいたことに感謝したい。そしてお詫びというのは、好き勝手に解説しまくって考察とかしているということを謝罪しておきたい。また、動画配信から1年以上経過してからでは遅い、ということも言われるかも知れない。その点はむしろ1年経過した時点でより落ち着いてランキングを精査できると考える。また、今回のシリーズはたくさん人名が出てくるので、敬称略とさせていただく。

 

ちなみに今回の話の主人公にあたる楽曲を先に紹介したい。高橋洋子が歌うあの名曲「残酷な天使のテーゼ」(1)である。

この「残酷な天使のテーゼ」はジョイサウンドの歴代ランキング、1992年から2022年の30年で栄えある第1位を獲得した。

同じく第2位はMONGOL800の「小さな恋のうた」(2)、第3位は一青窈ハナミズキ」(3)と続いていく。皆さんもそれを聞いたら、なんとなくそんな気がするだろうランキングを少し頭に置いていただきたい。そのうえで今回の動画を細かく区切って時系列で見ていくといろんなことが見えてくる。また、ここで紹介する曲目の後に(1)といった感じで数字が入った曲目がある。これは先程の30年間のランキングの上位50位の順位だ。この数字を参考にして、より面白く読み解けるようにしたいと思う。

 

1996年〜1998年

まず始まりは1996年1月から。1位は安室奈美恵Chase the Chance」、翌月はglobe「DEPARTURES」と小室ファミリー全盛期から始まる。まずはこの30年ランキングで上位入りを果たしたこの楽曲を紹介したい。スピッツ「チェリー」(4)である。

1996年4月にリリースされ、翌月にはカラオケランキングにも入ってきた。いまだに広く歌われるこの曲はタイアップなしで週間オリコンチャート1位を獲得した。「ロビンソン」で一躍人気バンドになったスピッツが確固たる地位を築き上げた名曲だ。このスピッツで本格的にスタートしたとも言える1996年の中盤からはPUFFYカラオケボックスを占拠した。

1997年に入り、安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」(35)が大ヒットする。この後1999年に入るころまで入れ替わりが非常に激しい。10曲全てが入れ替わることもザラで、音楽が大量消費されている感じがする。悪く言えば「使い捨て」に近いのかも知れない。しかし、良い「循環」と思ってみるとこの時期の目まぐるしさは新しい音楽がたくさん生み出され始めていた時期なのかも、と捉えても面白いかも知れない。1998年の12月のトップはSPEEDの「ALL MY TRUE LOVE」だった。

 

ALL MY TRUE LOVE

ALL MY TRUE LOVE

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1999年〜2000年

1999年に入ると宇多田ヒカルが登場する。「Automatic」や「Movin'on without you」で大ブレイクするとCDのセールスが歴代最高枚数売り上げたアルバムがリリースされる。そのタイトル曲にもなった「First Love」(33)はカラオケチャートでも大ヒットする。

 

 

記録的セールスを叩き出した宇多田ヒカルだが、意外にもカラオケランキングは総なめにした訳ではない。30年ランキングでも、この「First Love」しか入っていない。だから面白いチャートを見ることが出来ると感じた。その後小室ファミリーから鈴木あみBe Together」がヒットしたと思えば、その後当時急激に拡大した"とある"ファミリーの大ヒット曲が出て来た。モーニング娘。LOVEマシーン」である。

1998年頃から見かけることはあったが、1999年の秋以降この「つんく♂ファミリー」と呼ばれるつんく♂プロデュース作品がカラオケシーンで2000年中頃まで上位を席巻する。

若い頃この音楽シーンを肌で感じて思ったことがひとつある。カラオケはおっさんメインのスナックで歌うものから、カラオケボックスで若者が集まるものになった。これは通信カラオケが浸透した結果、90年代に急激に「ハード」の変化が起こった。そしてこの「LOVEマシーン」に繋がる話だが「ソフト」の部分で変化が起こった。それまでカラオケでヒットする曲は、おしゃれだったりカッコよかったり、また共感性が高かったりと、いわゆる本格派が多かった。しかし、この「LOVEマシーン」のおかげで国民が「バカ」になったと思う。決して悪い意味ではなく、「誰でも歌って盛り上がれる」という意味で一気に敷居が下がったと感じた。あのメロディとノリと歌詞、そしてふんだんに盛り込まれたコミカルさによって、日本人の中の何かが弾けたような気がした。当時、なりを潜めていたスナックのおっさんも"日本の未来は (Wow Wow Wow Wow)"と歌っているシーンを見かけることがあった。後のカラオケシーンに影響を与えたと同時にカラオケを国民的エンタメに完全に押し上げた曲だと勝手に思っている。

一方で2000年はベテランクラスも勢いがあった。当時ベテランの域に入っていたサザンオールスターズTSUNAMI」(17)と中堅クラスと呼べる福山雅治「桜坂」(40)がカラオケシーンでもヒットした。両曲とも当時流行った「未来日記」に関わる楽曲だったことも共感性を得た原因と考えられる。2000年の終わりにはMISIA「Everything」(48)が大ヒットし、カラオケが生まれた20世紀に終わりを告げることとなった。

 

 



 

細かく掘り下げ出すととまらないので今回はこの辺りで終わりたい。しかも冒頭で主人公だ、と言っていた「残酷な天使のテーゼ」はまだ出ていない。続きは次回以降でさらに話していきたい。最後は私が若かりし頃謎に「十八番」にしていた楽曲で締めたい。MOON CHILD(ムーンチャイルド)の「ESCAPE」だ。その場を大いに盛り上げるくらいは歌えていた。今はもう無理だけど。そんな感じでまた続編までにご一聴を。