前半の記事では1993年までの話だった。
1994年に入ってもその勢いは凄まじい。WANDSに1994年に提供した楽曲「世界が終るまでは…」は、昨年暮れから話題になった「THE FIRST SLAM DUNK」の影響で再び注目を浴びた。作詞者と作曲者の共演でどうぞ。
1995年頃から相川七瀬さんのプロデュースが始まり、同年に酒井法子さんに提供した「碧いうさぎ」がヒットした。
しかしながら時代はTKプロデュース全盛期へ突入してきており、徐々にBeing系の時代は下火になっていった。1998年頃からBeingをはなれ、本格的に相川七瀬さんのプロデュースを力を入れる一方で、自らバンド活動を行ったりと精力的に活動していた。
そんな2000年に大変なことが起こる。スペイン・マドリード滞在中に強盗に襲われ、喉を潰された。命は無事だったものの、かつての透き通った声は出せなくなってしまった。だけれども、リハビリを繰り返し、今出せる声で何とかまた歌うことができるようになった。大変な思いをしたが今こうして歌うことが出来ているのは並大抵ではない努力をされたからだろう。その後2001年にはKinKi Kidsに楽曲を提供した。
今回挙げた楽曲も織田哲郎さんによる演奏や解説がある。とにかくこれ面白い。
さて、最後は私が好きな織田哲郎さんの曲「君の瞳にRainbow」で終わりにしたい。あまりにも有名な楽曲が多すぎて、紹介していてキリがないと思えた。それくらい偉大なコンポーザーであり、アーティストである。そして、喉の怪我があったものの歌い続けていられるのは見ているこちら側も嬉しい。また、織田哲郎さんに関して話できれば。では、ご一聴。